つげ義春が死去した。「ねじ式」をはじめとする劇画・前衛漫画の数々で知られる伝説的漫画家であり、享年88歳だった。
つげ義春は1937年生まれ。10代のころから貸本漫画の世界に飛び込み、キャリアを積んでいった。その転機となったのが、1968年に漫画雑誌「ガロ」に発表した「ねじ式」だ。夢と現実が溶け合うような不条理な物語と、独特の荒削りかつ詩情あふれる画風で、発表当時から漫画界に衝撃を与えた作品として語り継がれている。
「ねじ式」のあらすじは、腕に謎の傷を負った主人公が、見知らぬ町をさまよいながら医者を探し求めるというもの。筋道の通ったストーリーというよりも、夢日記のような断片的なイメージの連鎖で構成されており、読む者を独特の感覚的世界へと引き込む。この作品は後に「劇画」の枠を超えた前衛的表現として高く評価され、日本の漫画表現の可能性を大きく押し広げた一作として今なお研究・参照され続けている。
つげ義春の仕事が特別なのは、それが単なる「エンターテインメント」にとどまらなかった点にある。彼の作品には、高度経済成長期の日本社会への違和感、貧困や孤独、人間の内面の不安定さが色濃く滲んでいる。漫画というメディアが「読み捨てられるもの」として扱われていた時代に、文学や映画と同等の芸術性を持ちうることを体現してみせた作家だった。
その影響は国内にとどまらない。つげ作品は欧米でも翻訳・紹介されており、グラフィックノベルの文脈でも重要な先駆者として位置づけられている。村上春樹や大島弓子ら後続の作家たちへの影響を指摘する声も多く、日本のカルチャー全体に深く根を張った存在だったといえる。
また、つげ義春は寡作で知られ、1970年代以降は漫画の発表をほぼ止めてしまった。それでも作品の評価は衰えるどころか年を追うごとに高まり続け、2005年には手塚治虫文化賞特別賞を受賞。「描かない伝説」とでも呼ぶべき独自の存在感を放ち続けた。
その死は、ひとつの時代の終わりを告げるものだ。しかし「ねじ式」をはじめとする作品群は、これからも読まれ、語られ、新たな表現者たちに影響を与え続けるだろう。つげ義春という漫画家が切り開いた地平がいかに広く深いものだったか、改めて問い直す機会が訪れている。